その9 '04年4月

その後

いつのまにか4月半ばとなりました。東京ではここのところ、お天気がさまざまに急変するなかで、次第に暖かく春めいてきたと思っていたら、いつしか桜も終わり、初夏のきざしさえ見えはじめました。1月にこのページに書いたような事情で、12月に予定していたアーサナのページの更新が遅れたのですが、もうそろそろなんとかしないとと、少しずつ取りかかってはおりましたが、3月中にも間に合わず、2回分遅れることになってしまいました。3回分の遅れにならないようにしたいと思っておりますが…。

元旦の夫の入院から、もう100日以上経ちます。1月末から放射線と抗癌剤の治療を受け始めましたが、予定の半分が終わった頃に血液状態や体調が急に悪化して治療を中断し、これ以上は生体に対するデメリットの方が大きいという担当医の状況判断で、後半の治療予定は中止となりました。今後は身体状況の総合的なケアとしてのみの入院となるという説明は、つまりは、「最後を待つしかない」という告示なわけですが、私は逆に「振り出しに戻った」と受け止めました。

とはいえ、入院後すぐに気管切開を施され中心静脈栄養点滴を受けている状態で、代替医療的なことを試みようにも、サプリメント類も口腔粘膜からの吸収や外用を試みるしかなく、ほかに私が手伝えることは、整体的な手当てやマッサージや自律神経免疫療法の爪もみなど。ただ眠るしかないような本人のありさまでは埒があかないと思い、彼の古くからの友人たちに電話して、なんとか応援してやってくれと頼みました。皆さんたいへん驚き心配して、駆けつけてくれたり、手紙やFAXで激励してくれたりしました。友人の目を見つめつつ手を握りしめる様子を見て、大丈夫だ、まだまだがんばらなくてはと、私も大いに力づけられ覚悟を新たにしました。

今月初めには、血圧が急に下がって危険な状態に陥りましたが、「2,3日が山」という担当医の予想を裏切って持ち直し、その後、かえって体状況の改善が少し見られ、危機をはねのけた勢いに乗って根源的な生命力が発揮され始めたようにも思えました。客観的に見れば手の付けようのない末期であり、ここから治癒に辿り着くのは奇跡でしかなく、今後もいつ何が起こるか分りませんが、決してあきらめず、その時その時の状況に真摯に立ち向かうしかありません。

12月に、鬼になったような気持ちでなんとか完成させ提出した放送大学大学院の修士論文ですが、1月に面接審査を受けて、3月に成績通知が届き、最高評価のマルAがもらえたのでほっといたしました。でも、成績や修士という肩書きの取得がうれしいというよりも、ノルマを片付けられてよかったというのが今の正直な心境です。3月14日が卒業式で、帰りに夫のところに寄って報告しました。その夜は、長男の誕生日を兼ねて、4人の息子達が祝ってくれ、久しぶりに楽しい夜が過ごせました。

佐保田鶴治博士は、その著『ヨーガの宗教理念』で、岸本英夫博士の手記『死を見つめる心』を取り上げ、岸本博士がガンの再発で死に直面して,死の問題の解決策として選んだ態度や手段について考えを述べています。私の修士論文の結語では、その内容を引用し、佐保田博士とは若干異なる私の考えを述べました。夫の病気という現実のなかでは、言葉だけの知識で輪廻や解脱という概念について語ることはできません。学問研究としての厚みは減じたでしょうが、自らの生のなかで信じ得ることだけしか表現しなかったことは、自分のなかでは充分に納得しています。

今は、復註の『ヴィヴァラナ』のデーヴァナーガリー文字のローマ字変換を夫の枕もとで細々とおこなうだけで精一杯ですが、『ヨーガ・スートラ』の研究は更に今後も長く続けたいと思っています。

夫の病気に専念してHPの更新が遅れているだけでなく、会員の皆さんへのこまめなご連絡などもできずにおりますが、朝菜会のヨーガのクラスは続けています。各クラスは、私自身がヨーガに専心するための貴重な時間として今まで以上に大切に思っております。ただ、もしも緊急の事態が生じた際は、臨時休講させていただくかもしれませんので、その場合はお許しいただきたいと思います。

先のことは先に預け、今に集中するしかありませんが、このページの次の更新時に、どのようなご報告をするのか、今の私にはまったく予想がつきません。以上、中途半端ながら現況報告とさせていただきます。

                        ミーナークシー(ヨーガあざな)