その5 '02年末

立つこと

毎週水曜日に藤沢市辻堂でクラスを持っています。もう15年くらいになりましょうか、遠いことは慣れれぱなんでもなく、6人のメンバーの方と、お互いの人生の経過のなかで、週に一度の長いお付き合いをしています。ホーム・ページを開いたことを皆さんとても喜んで下さって、これを見るためにわざわざパソコン講習を受けられた方もあって、感激しました。更新はまだですか?と楽しみにされているので、今回もなんとか年内にとがんばりました。また今回、Q&Aコーナーを設けたのは、海外にお住まいの方がメールでのやりとりのなかで勧めて下さったためですが、こうしたお付き合いも長く続けられそうでうれしいです。

独立(より引退が似合う歳かな)して朝菜会を始めて2年経ちます。組織に所属していた頃からの辻堂のクラスも、参加者がお二人だけの時期が数年間あり、大赤字で申し訳ないと言われつつ、私の勉強のためと続けてきました。都内で新しく始めた3つのクラスは2,3人のこともしばしばで、それも、千葉や奥多摩や湘南からいらしてたりという不思議な状況です。見ていると歯がゆいという声もよくかかるのですが、ともかく今は、『ヨーガ・スートラ』に集中したく、組織作りに気が向かないのはお許し下さい(もちろん、入って下さるのは大歓迎!)。このサイトでネット・ヨーガ・クラスとして表現することは、自分自身の指導面でのレヴェル維持の目安となるということで、大事にするつもりです。

今回取り上げた<木立のポーズ>を、何年か前に受講したヨーガ講座で実習したことがあります。その時、頭を真っ直ぐに起こすこと、ソケイ部に載せた脚の膝を前に向けないで腰を伸ぱすことなどを気にし過ぎて力が入っていた私は、いっしょに受けた方の、とても自然な立ち方にとても教えられました。形が調っても、目を閉じて味わえなけれぱなんにもならない。本当に楽に立てるようになってから自然に背筋が伸びていくのでなければ…。これはヨーガとの関わり方すべてに言えることだと思います。アーサナの説明が建前ならこれは本音でしょうか。私にとっての独立は、何かを建てることではなく、立つ練習のやり直しのような気がしています。先日見て来た、ガンダーラとマトゥラーの彫刻展で、仏像たちの足の美しさに一番感動したのもそのせいでしょうか。そういえぱ、茨木のり子さんの『椅りかからず』も感銘深い詩集でした。

以下は、何年か前に呼吸法について書いたものですが、この思いは変わりません。

指導の場では、呼吸法というものの表と裏をつい意識します。表立っては個々の行法に習熟し深く味わってもらえるよう心を配りますが、行法の習練という(いわば)虚構の中で、各人が密らの「息」と体面し、それをすなわち生命の現在と観じとることが、日常の息づかいの変容につながっていく…ということをホントはより大切に思っています。

私自身、「熱練」に至るべくもなく、常に初心のままに、自身の停まいを調える「儀礼」のような想いで各種の息の形式に自らの息を重ね合わせてきただけ。さて、変化といえることとしては、時間感覚のコントロールが身についてきたということかな。コンマ秒単位から数年単位まで、リズムやコントロールがつかみやすくなり、待つことも楽に。

いろんな息が錯綜する日常は、呼吸法の世界以上にミラクルワールド!感覚の統御とは感覚を十全に働かすことのはず。いつまでも息深く感情豊かに生きたいもの。


                        ミーナークシー(ヨーガあざな)