その13 '05年3月


森の生活

 引っ越しました!と言っても1月のことでしたから、ずいぶん遅いご報告になりました。前回、引っ越しますと書いてから半年近くも経ってしまいました。ごめんなさい。前の家ではパソコンが台所の隅にあって家事の合間に気楽に開けたのですが、今度は台所とは別の階の寝室に設置したので、寒い部屋に入って座り込むというのはなかなかできず、開きづらいのです。荷物の片付けやなんやかやに忙殺されているうちはまったく無理でした。少し手が空いてから、なんとか季節の体操やクラスの日程だけは作成し、今やっとこのページに手が届き、リンク集のページで何軒かの相互リンクのお誘いにも応じることができました。近々、アーサナ・コメンタリーのページの更新にとりかかります。テーマは<パドマ・アーサナ>。ほかにもいろいろと目論んでおりますが、もうしばらくお待ちください。

 秋に決まって年が明けてからの引っ越しでしたので、準備の時間は充分ありました。諸々のガラクタに取り巻かれつつ16年以上も住んできたもので、夫ももういないことですし、不用品の処分が先決で、思い切ってかなり大量に処分しました。でも捨て難いものはいろいろと残しましたし、本やCDやLPがやはり多くて、案の定、具沢山(?)な引っ越しになりました。新居のどの部屋も荷物で満杯になり、数日間、段ボールの山をひたすらくずし続けました。

 引っ越したところは府中。ユーミンの『中央フリーウェイ』の歌詞に、「右に見える競馬場 左はビール工場」とありますが、その辺りです。プラネタリウムのある郷土の森公園や第2のアメ横と呼ばれる綜合卸売りセンターもあって、妙に面白い環境なのですが、南武線と道路の関係がどうも分りづらく、最初の頃、日暮れて帰る時に迷子になってしまい、この歳で泣きべそをかいてしまいました…。とはいえ少しずつ地理感がついてきましたし、もう少し暖かくなれば、ゆっくり周辺散策をしたいなと思っています。家は、敷地内に地下室と屋上のあるニ階屋がジグザグに連なったタウンハウスという形式で、ちょっとヨーロッパの裏町めいた馴染みやすい雰囲気の建物
。屋上で貨物列車や稲城の山を眺めながら青空の中で洗濯物を干したり、卸売りセンターに早朝から買出しに行ったりで、自然と早起きになります。

 捨て難くて残したものの代表が、枯れた枇杷の木。植木屋さんに分断してもらって車で運び、屋上に置いてあります。根元に芽吹いていた2代目の若木も植木鉢に移してもってきました。。池に1匹だけいた金魚も、ニャンの代わりに(?)連れてきました。水槽や、水を濾過するフィルターやなんやかやの付属品や、1匹では淋しかろうから仲間の金魚やと、ちょっと大袈裟なことになりましたが、前日に運び、玄関の下駄箱の上に置きました。餌やりや水槽の掃除などが新たな日課となりました。また、荻窪のアパートに置いてあったピアノを引き取りました。せっかくだからと今月から習い始めることにしました。何年も放ってあったギターも弦を張り直しました。そんなことを電話で母に言いましたら、「老後は楽しいことを好きにやるといいのよ」と、ちょっと心外な扱いをされてしまいました。インドでは、人生を4つの時期に分けて考えます。学業期・家住期・林住期・遊行期。その意味では、「未だ亡びざる人」の立場は家住期が終わって林住期に入ったものとも言えます。ひょっとしたら枇杷の木も、老後の趣味として木彫を始めるということに発展するかもしれません。

 夫との永訣からいつしか10カ月以上経ちましたが、引っ越しへの専念が消えていくなかで、思い出す「去年のきょう」がますますシビアーなものになってきます。4月の22日までは日毎により濃くそれが続くでしょう。毎日、病院に向かいつつ、その日の夫の容態を見るのが怖くてなりませんでしたが、あの病室に夫がいてこれから会えるんだと思うことで自分の気持ちを立て直していました…。会えるということはほんとうに貴重なことだったと、今、心底思います。亡くなるひと月くらい前に、夫が「いろいろ話したい」とホワイトボードに書いたと、前にお話ししましたが、その時に聞けなかったことがずっと悔やまれ、何を話したかったんだろうと考え続けてきました。でも、日が経つにつれ、大切なのは話の内容じゃなく、ただ、「いろいろ話す」ということ自体だったのだと思えてきました。夫の骨や遺品を納める棚を新しく用意しました。その前に座り心のなかで語りかけます。もろもろの現象面でのとらわれが次第に凪いでいけば、夫そのものをもっともっと近しく感じられるようになっていくだろうと思いつつ…。

 最後に…
 実は、更新が遅れたのは、別のことが心を塞いでいたからでもあります。
 去年の暮、スリランカの浜辺で私のかつての同僚や知り合いが何人も津波災害の犠牲になりました。とても有り得ない信じられない出来事ですし、ましてや夫の死をまだ咀嚼しきれないこの私には悲しみようも思いようも見つかりません。ずっと読めずにいた、岩井寛さん口述の『生と死の境界線ー「最後の自由を生きる」』を先日やっと読めました。そのなかの松岡正剛さん(構成者)の言葉に、「われわれは葬式文化ともいうべきものによって、われわれ自身の<死>の周辺を隠してしまう方法を身につけたのだ」とあります。ボカッと底が抜けるようなことがらに、そんな文化の匂いの染みた言葉は一つとて使う気にならず、なにも言葉にできず、歯を強く噛みつつ筆を置きます


                                                     ミーナークシー(ヨーガあざな)