その12 '04年10月
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ニャンのこと
リンクのページの背景になっているのが、我が家の猫のニャン。写真のとおりの三毛のメスです。今までうちで飼っていた歴代の猫達同様、元はノラです。子猫のニャンがうちに来てからもう14年くらいになりましょうか、人間でいうと60代くらいだそうです。なかなかの美形で自意識が強く、年取っていく感じが不思議とない猫でしたが、一昨年くらいからおしっこを漏らしがちになり、身づくろいもあまりしなくなり、それなりに老いてきたように見えはじめました。


夫の入院後は私が留守がちになり、台所にだけしか入れないようにして留守番させる時間が長くなりました。飼い主の心境も伝わるでしょうし、ニャンとしても暗い日々が続いたことになります。そう思いつつもあまりいたわってやる余裕もありませんでした。夫が逝った後も、もろもろの身辺整理に追われ、ただ餌をやってトイレを交換するだけしかしてやれないでいました。


その後、夫の満中陰の頃、家を出たまま帰ってこなくなり、心配していましたら、5日くらい経って帰ってきたのですが、怪我をしていました。なんと夫の患部と同じ右の首筋が膿んで破れていて、内心ぞっといたしました。すぐに病院に運び治療を受けました。喧嘩でよその猫にやられたのでしょうといわれ、傷が塞がるまでは外に出さないよう、何日か治療に通うよう指示されました。日が経つにつれ傷は良くなってきましたが、外に出たい欲求が高まり、行動が気違いじみてきました。柵を乗り越えようとしたり、わずかな隙間に入り込もうとしたり…、それも遮られると、最終手段でしょうか、ところかまわず、おしっこをかけはじめました。パソコンのプリンターの上でジャーっとやられて機械がダメになってしまい、とうとうこちらもお手上げで外に出しました。またまた、帰って来なくなりましたが、傷口は縫ってもらっていたのでさほど心配はないと思っておりました。


それから5日くらい経って帰ってきました。頭に被せられていた包帯は自分で外したようで、縫われた傷口がきれいに塞がっているのが確認できました。その夜はなぜか台所の床に寝そべったまま、いつもの寝場所に行こうとしませんでした。翌朝もそのままそこにいて、ウンチが2,3個そばに転がっていました。治療中続いていた下痢状態も治ったようで安心しました。
その日は私も息子達も朝から仕事があって、もう閉じ込める必要もなかろうと、窓を開けたまま出かけました。午後に私が帰ってきたら姿がなく、また帰ってくるのを待つしかないねと、その夜、息子達と話しました。でも今度は、何日経っても帰ってきませんでした。どこか遠くへ行ってしまったんだという思いが日毎にはっきりとしてきます。
夫は治らなかったけれど、ニャンは夫と同じところを病んで、ちゃんと治った様子を見せることで私をなぐさめてくれたみたいです。「おとうさんのところへ行ったの…?」と、ニャンの写真に向かって問いかけました。亡くなった人は、別の世界に行くとか、生まれかわるとか、無くなってしまうとか、いろいろいわれますが、なにか次元の異なる状態に入って、より自由な、より近しい存在になるように思います。不自由な人間の私より猫のニャンのほうが、その次元とつながりやすくて、夫は私の代わりにニャンを呼んだのでしょうか。プリンターを壊したことを責められたときの、途方にくれたような表情を思い出すと、無性にいとおしさがこみ上げてきます。


ちょうど御盆の頃、庭の枇杷の木が急に立ち枯れました。夫に枇杷葉温灸をしたり、枇杷葉エキスを作ったりと、とても頼りにしていた木で、木立のポーズのお手本のように実に真っ直ぐ立っていました。ニャンも枇杷の木もさよならしてしまったということで、この家から離れる時がきたように感じました。そして9月に入って、来年1月に引越すことが決まりました。庭に例年より早く彼岸花が咲き始めました。別名の曼殊沙華は、天上に咲く花の名前だとか。9月15日は本来なら夫の63歳の誕生日で、ケーキといっしょに供えながら、引越しが決まったことを報告しました。
といった次第で、もっか引越し準備に大童。おまけに、放送大学から原稿依頼が来て、修士論文のレジュメを作成しなくてはなりませんし、またまた、アーサナのページの更新ができないでおります。パドマ・アーサナをテーマにすることだけは決めているのですが、いつになることやら。でも、引越しが決まったことがきっかけで、なにか自分の中に軸ができて、空虚感が薄れてきたような気がしています。直接接している方々にはなにかしら伝わるかもしれませんね。
ミーナークシー(ヨーガあざな)

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