経典『ヨーガ・スートラ』に学ぶ,ヨーガによる自己の解放

                          朝倉憲子

  20年余りにわたってヨーガの実践と指導を続けてきたが,インド思想を解説した各種の書物に示されるような現世否定的なヨーガの思想傾向が,自らが行じている内容とはまったく噛み合わないように思われ,ずっと深い理解に至らないままであった。真にヨーガを生の糧にするためには,「心のはたらきの死滅」と表現されるヨーガ思想そのものに自ら接近していかねばならないと思い立ち,ヨーガ思想の大元となるパタンジャリ著,ヨーガ学派の根本教典『ヨーガ・スートラ』を読み込むことを,修士論文のテーマに選んだ。
 取り組み内容としては,サンスクリット語を学ぶことから諸々の研究文献の学習などを一から始めて,『ヨーガ・スートラ』の原文を自訳しつつ読解し,註『ヨーガ・バーシャ』の復註『ヴィヴァラナ』を,第1章を中心に和訳と英訳を参照しつつ読解してその内容をまとめ,諸文献を参照しつつ,いくつかのキーワードを基に『ヨーガ・スートラ』の説く思想内容を分析した。

『ヨーガ・スートラ』はその理論的枠組みをサーンキヤ哲学に負い,現象世界と真の自己たる精神との二元論である。真の自己プルシャは純粋観照者で,心のはたらきを通して現象世界と関わり,その心自体も現象世界側の産物とされる。「心のはたらき」とは,専ら認識作用を指し,煩悩すなわち欲望や憎悪などの心の汚れが認識作用を曇らせるがために,一生のうちに業という潜在的な蓄積を残し,それが苦に満ちた未来生をもたらすという。復註では,経典の意図を医学書の例に譬えて説明する。すなわち,病気にあたるのが,苦の多い輪廻で,病気の原因は,無明に因るプルシャ(見る者)と心(見られるもの)との結合,治癒とは,両者の結合の除去,治療方法は,両者を識別する智恵の獲得である。ヨーガは三昧という心の静止を,特に専念集中において獲得することであり,目標たる解脱すなわち心とプルシャとの結合の除去のための手段たる識別智を得るために,心を制御された状態に導くための手段とされる。更にヨーガは,自らの補助的手段たる修行法を持ち,我々はこれをヨーガと言いなしている。
 修行階梯は次第に内的なものへと進められ,行動,身体,感覚器官が順次調えられた後,直接知覚という正しい認識を磨くべく瞑想なる心自体の修行に入り,その対象もより微細なものへと進められる。そして,ラーマナ・マハーリシが「"I"という感覚の糸」をひと筋に丁寧にたぐっていくと表現したように,「私であるという想念」を追及していく。

 この世からの離脱を求める行者達と,死すなわちこの世の生を喪失することを恐れる我々とは,正反対の意思を持つもののようであるが,煩悩という心の汚れやそれから派生する潜在的な作用と心のはたらきとの循環関係によって乱された不如意な生の有り様から脱出するための方法を求めるという,同じ志を共有することができる。輪廻思想のルーツなどを検証しつつ,ウパニシャッド的な「不死への熱望,アートマンの探究」という精神姿勢と,ヨーガの解脱志向とが表裏一体であることを理解すると,「真の自己の探究・実現」という唯一のテーマが,さらに浮き彫りにされる。それこそがヨーガのテーマであり,時代や土地を隔てた者もあまねく,本来の自己を解放するための手段としてヨーガを一生のよすがとなしうる所以である。

 こうした,自己の解放を説く人間中心の思想としての再認識に立って,『ヨーガ・スートラ』の教示する内容を実践に活かすべく,自身のヨーガへの取り組み方を再確認した。

学生コメント

 京都大学文学部を35年前の大学紛争時に中退し結婚。4人の息子が皆成人した後,再び学問を志し,放送大学に3年次編入学。卒業研究では,ヨーガを心理学的立場で論じた。今回は,ヨーガ思想そのものに肉迫すべく,インド哲学の大海に思い切って飛び込んでみた。にわか仕込みの語学力ゆえの困難も多々あり,足掻き苦しみつつ研究を進めた。
 提出期限間際に夫が癌の診断を受け,病状が次第に悪化した。川崎信定先生の強い励ましにより,なんとか完成。卒業を報告した後, 4月に夫は逝った。余裕を欠いた状況それなりの仕上がりながら,夫の命を見つめつつ真摯な取り組みをなし得たことは,充分満足に思っている。